藤原 智美 著『文は一行目から書かなくていい ― 検索、コピペ時代の文章術』を読んでます。
文は一行目から書かなくていい
この言葉に心にが動きました。
子供の頃から作文や読書感想文が嫌いでした。
想像力は色々と豊かでしたが(笑)どうやって文章に落とし込んでいけばよいか分からず、自分は文章を書くのが苦手と思い込んでいました。
書けないと悩む人に話を聞くと、文章は一行目からきちんと書くべきものと思い込んでいる人が多いようです。思い込みの元凶は、おそらく学校教育でしょう。
小学校では、作文を書かせるために四〇〇字詰め原稿用紙を児童に配ります。ただ、提出に最低限必要な枚数しか配られないと、児童は下書きなしで書くことになる。最後まで書いてから一行目を書き直すとしたら、文章をすべて消しゴムで消して文頭から書き直さなくてはなりません。それはさすがに面倒なので一行目が書けるまで二行目に手をつけようとしなくなります。
この内容にとても納得がいきます。
子供の頃、作文用紙に書いては、消しゴムで消してを繰り返し、完成ばかり意識して、作文用紙はボロボロ、結局半分も書けなかったことを思い出します。
今ではワープロを使えは、文章を移動したり、コピーしたりして構成自体を修正しながら落とし込んでいけますが、当時はこんなに苦労したあげくに、書くことが嫌になっていました。
人間の思考というのは断片的です。もちろんそれを文章にして伝えるためには一定の秩序を与えることが必要ですが、断片的な思考を頭のなかだけで整理するのは限界があります。
文章というのは何回も見直して推敲しながら完成させていくものです。どうせ後から見直すのだから、一行目にこだわる必要はまったくない。まずは思いつくままアトランダムに書いてみることです。
作家の原稿で、文章を訂正し過ぎてクチャクチャになっている場面を見ますが、書くことが仕事の人ですら最初から完成に近い文章に落とし込むことが難しいと言えます。
文章も人それぞれ色んな書き方があってもよいはずですが、学校でも一行目から書かなくてよいと教えられていればもっと書くことが好きになれていたかもしれません。
完成図を考えるより先にやるべきなのは、頭のなかの言葉のピースを目に見える形にすること、つまり思考の断片の文章化です。
思考の断片を文章にして並べると、「このままでは結論がない」「この要素とあの要素をつなぐには、もう一つ要素が必要かも」というように、いままで見えていなかった全体像や、足りないピースが浮かび上がってきます。緻密な構成は、この段階になってようやく可能になるのです。
私も仕事でメールを書いたり、ブログに記事を書くときにこう書こう、と全体イメージがあるわけではありませんが、まずは断片的なものをアウトプットしてから構成を考えたほうがスムーズに書けます。
一行目を意識し過ぎて書くことを嫌いになるのではなく、断片的な思考を楽しみながらアウトプットしていきましょう。
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